カナダ ケベック州の郷土料理
ケベック州の郷土料理
noteより
ケベックの代表的な郷土料理
Pâté chinois (パテシノワ)
La Poutine(プティーン)
Tortière (トルティエール)
Pâté chinois (パテシノワ)
起源は不明らしいが、カナダ太平洋鉄道を建設中にアジア系の労働者が安い食材で作ってできたものと言われています。ちなみに、chinois=「中国人」という意味。
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ミンチにクリームコーン、マッシュポテトをのせて焼く。
La Poutine(プティーン)
これがすごいヘビー、、。フライドポテトにグレイビーソース(日本にはない特別なソース。)、チーズ(これも日本にはないぐにょっとシャキッとしたチーズ)をふんだんに塗した料理? これは料理なのか…? これ一回食べたらハマるから食べ過ぎ注意🚨笑
プティーンのトッピングやポテトの感じはお店によって違うけれど、基本的には同じような味わい。ソースは缶でもスーパーで販売されていて、おうちでも作れちゃう!
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これでレギュラーサイズ(並)。10~12$くらい。
ちなみに、モントリオール でプティーンのおすすめのお店は
La Banquiseです。
https://labanquise.com/
Tortière (トルティエール)
いわゆるミートパイ。ひき肉に玉ねぎ、スパイスを絡めて炒め、パイ生地に包んで焼いたもの。
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ノエルの時期に食べるイメージ!
まぁ見ての通り、寒い国ならではの高カロリーな料理🇨🇦
プティーンやトルティエールはよくファーストフード店、ファミリーレストランでも販売されているほど身近なメニューです。
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マクドナルドのメニューにもプティーンがあります。
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ケベック料理に焦点を当てる
サイト メープルトレジャーズ
・ベイクドビーンズ 六時間以上煮込んだ豆
ベーコン、メープルシロップ、玉ねぎ、ハーブ
ニンニク
ケチャップ
バター
マスタード
月桂樹の葉
レシピ サイト
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ウィキペディアより
ベイクドビーンズ(英: Baked beans)とは、インゲンマメを甘辛いソースで調理した料理である。名前のとおりオーブンで蒸し焼きにしたものもあるが、通常は名前に反して煮て作られる。
インゲンマメ、カボチャ、トウモロコシは共栄作物であり、三姉妹(英語版)という農法によって、アメリカ州の先住民族によって一緒に栽培されてきた。
別の説によると、水夫によってフランス南部からカスレが伝わるか、フランス北部やチャンネル諸島からの豆の煮込み料理が伝わったと言われている。おそらく、様々な地域に由来する類似料理のレシピが北アメリカで融合して混ざり合い、最終的に今日のように親しまれているベイクドビーンズになったものと考えられる。
今日の多くのレシピでは豆を煮込むが、伝統的には焼き物や鋳鉄製のビーンポット(英語版)で下煮した豆をソースと共に蒸し焼きにして作る。ペノブスコット族(英語版)の習慣に起源を持つかもしれないメイン州の伝統的な料理法「ビーンホール調理」では、石を敷いた穴に薪を置いて火をつけ、炭になったところに味をつけた豆11ポンド[1] を入れたポットを置き、土をかけて一晩またはそれ以上蒸し焼きにする。こうして調理されたベイクドビーンズはメイン州の伐採キャンプには欠かせないもので、毎食提供された[2]。
豚肉を入れた豆の缶詰は、簡易食品の中でも最初に作られたものであり、20世紀初めにイギリスで経営されていたアメリカの会社によって輸出され、広まった。塩漬けの豚肉と豆をトマトで煮た缶詰が1860年代に南北戦争中のアメリカ陸軍兵士に支給された[3]。
アメリカ食品医薬品局は1996年に、「'beans with pork'または'pork and beans'という名前の商品にほとんど豚肉が含まれないことが消費者に広く理解されるまでに何年もかかった」と述べている[4]。
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イギリス
イングリッシュ・ブレックファスト
イギリスとその旧植民地では、ベークドビーンズというとトマトソースで煮た缶詰を指す。ベイクドビーンズはフル・イングリッシュ・ブレックファストに欠かせないものだと考える人もいる。近年は他のブランドが追い上げてきてはいるが、伝統的なベイクドビーンズのトップブランドとして、「ハインツ」はそれ自身がベイクドビーンズと同義で使われている[5]。 ハインツのベイクドビーンズは、1886年にロンドンの高級百貨店フォートナム・アンド・メイソンで、高価な舶来品として初めて売り出された[6]。
今日ではむしろ安価な食べ物であるが、伝統に則ってハインツのベイクドビーンズは今でも高価な容器に入れて売られている。
イギリスのスーパーマーケットでは、プライベートブランドのベイクドビーンズを1缶当たり30ペンス以下で販売している[7]が、有機農産物ブランドのものでは1缶1.50ポンドを超えることもある。スーパーマーケットでは、ベイクドビーンズはしばしば仕入れ原価を下回る程の古典的な「目玉商品」である。ベイクドビーンズは、ソーセージやベーコンとともに副菜になったり、ピザのトッピングになったり、他の食物と組み合わせて用いられることが多い[要出典]。
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アメリカ合衆国
バーベキューポークサンドイッチとベイクドビーンズ
アメリカ合衆国では、ブッシュ・ブラザース(英語版)、ヴァン・キャンプス(英語版)、B&M、アレンズ、ハインツ、キャンベル・スープ・カンパニーがベイクドビーンズの大手製造元として良く知られている。ブッシュ・ブラザースとヴァン・キャンプスは様々なベイクドビーンズを作っているが、B&Mのものはほとんどがボストン風である。これらの製品の多くは、自家製のものと比べて、塩味よりも甘味が勝ったソースを使用している。
ハインツのベイクドビーンズは、イギリスで売られているものと、アメリカで販売されている同等品 (Heinz Premium Vegetarian Beans) の間には大きな違いがある。アメリカ向けの製品には、イギリス向けの製品には入っていないブラウンシュガーが含まれ、イギリス向けの製品に含まれる糖分が1缶あたり7gなのに対して、14gもの糖分が含まれる(熱量は、90カロリーに対して140カロリーである)。また、アメリカ向けの製品の方がより柔らかい食感で、色も若干暗い。
長年の間、イギリス風のハインツのベイクドビーンズは、単なる「ビーンズ」という商品名で、「輸入品」という扱いで売られていた。ただし大きさは、本国の415gに対して385gであった。
ニューイングランドでは、北部ではベイクドビーンズに通常は甘みを付け、ソルトポークとともに石窯で6から8時間かけて蒸し焼きにする。
南部と東海岸では、ソースにマスタードを入れるため若干辛い。またベーコンや牛挽肉が入ることも多い。
多くの地域に、ベイクドビーンズと似た伝統的料理がある。
・ボストンベイクドビーンズ(英語版)
・ニューイングランドベイクドビーンズ
・メープルシロップを用いたケベック風ベイクドビーンズ
・ニューイングランド北部やケベックの、地中に鍋を埋め、最長2日間かけて調理するビーンホール・ビーンズ
・ポークアンドビーンズ(英語版)
・ポーランドでは、ベーコンやソーセージを加えた豆料理が「ブルターニュ風豆」(fasolka po bretońsku)として知られている。
・ジャージーの「ビーンクロック」
・ガーンジービーンジャー(英語版)
・スペインのファバダ、コシード・モンタニェス(英語版)
・フランスのカスレ
・フェジョアーダ
イギリスでは、アフタヌーン・ティーの時間にトーストに乗せたビーンズを食べることが好まれる。穀物と豆の組み合わせから、安価で完全なタンパク質が摂取できると言われている。「ビーンズ・オン・トースト・デラックス」にはさらに卵、おろしたチーズ、マーマイト、ツナなどが加わる。フル・イングリッシュ・ブレックファストには、ベイクドビーンズは欠かせないと言われる。
・バーベキューソースで煮込んだ豆は、アメリカのバーベキューの伝統的な副菜である。
ホットドッグを利用した料理の1つ「フランクスアンドビーンズ」は、フランクフルトを小さく切り、ベイクドビーンズと同じソースで煮込んだものである。カナダでは、「ビーンズアンドウィーナーズ」と呼ばれることが多い。
ドミニカ共和国では、トマトとブラウンシュガー仕立てのベイクドビーンズが「アビチュエラス・ブランカス・アル・オルノ」(habichuelas blancas al horno)として知られている。
・バルカン半島では、プレブラナッチ(Prebranac)として知られている。
・チリコンカーン
ベイクドビーンズのサンドイッチ等、ベイクドビーンズを用いた変わった料理が多数存在する。ベイクドビーンサンドイッチは、その名のとおりパンにベイクドビーンズや溶けたチーズ等の副材料を挟んだものである。
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もしかしてインディアンの食文化がわかるかも、と思い検索 →なかった
ペノブスコット族 ウィキペディア英語版
ペノブスコット族(アベナキ語: Pαnawάhpskewi ) は、北アメリカ北東部の森林地帯に住む先住民族です。メイン州では連邦政府公認の部族として、大西洋岸諸州とケベック州では先住民のバンド政府として組織されています。
ペノブスコット・ネーションは、以前はメイン州ペノブスコット族として知られ、アメリカ合衆国連邦政府公認のペノブスコット部族である。 [ 2 ]彼らは、歴史的にアルゴンキン語族を話していたアベナキ族、パサマクォディ族、ウォラストキイク族、ミクマク族とともにワバナキ連邦を構成している。ペノブスコット族の主な居住地は現在、ペノブスコット川沿いのメイン州内にあるペノブスコット・インディアン島保護区である。
ペノブスコット族が自らを呼ぶ「Pαnawάhpskewi」は、「白い岩が広がる場所の人々」を意味します。これはもともと、現在のメイン州オールドタウンとベローナ島の間のペノブスコット川沿いの領土を指していました。ヨーロッパの入植者によって「ペノブスコット」と聞き間違えられ、それが今日の彼らの名前の由来となっています。
先住民族は少なくとも11,000年前からメイン州とその周辺地域に住んでいたと考えられています。[ 4 ]彼らは狩猟採集社会で、男性はビーバー、カワウソ、ヘラジカ、クマ、カリブー、魚、魚介類(ハマグリ、ムール貝、魚)、鳥、そしておそらくアザラシなどの海洋哺乳類を狩りました。女性は地元で採れる鳥の卵、ベリー、ナッツ、根菜類を集めて加工しました。[ 5 ]
現在のメイン州沿岸の人々は農業を営んでいたが、気候がより温暖なニューイングランド南部の先住民ほどではなかった。 [ 6 ]食糧が不足するのは、冬の終わりの2月と3月だけだった。それ以外の時期は、陸地と海水が豊富な食料を提供し、人口も維持可能だったため、ペノブスコット族や他のワバナキ族は生き延びるのにほとんど苦労しなかったと思われる。[ 5 ]部族は狩猟や魚のパターンに従って季節的に移動した。
接触と植民地化
サラ・モラセスの肖像画、1886年頃、ジョン・ネプチューンとモリー・モラセスの娘、ピーボディ考古学民族学博物館所蔵
16 世紀、ペノブスコット族は毛皮貿易を通じてヨーロッパ人と接触していた。毛皮貿易は利益を生み、ペノブスコット族は毛皮を金属の斧、銃、銅や鉄の調理器具などのヨーロッパの品物と喜んで交換した。しかし、毛皮狩りによって獲物は減り、ヨーロッパ人との貿易によって初めてペノブスコット族のコミュニティにアルコールがもたらされた。ペノブスコット族は遺伝的にアルコール依存症になりやすいと主張されてきたが、これは証拠のない人種差別的な感情であり、ヨーロッパ人は取引や貿易で頻繁にこれを利用しようとした。ペノブスコット族や他の部族はビタミン C を含む松ビールを製造していた。これはアルコール飲料であることに加えて、壊血病の発症を抑える効果があった。
ヨーロッパの植民者が到着すると、大量のアルコールが持ち込まれました。ヨーロッパ人は、大量のアルコール摂取が常態化することに対処するための酵素、代謝プロセス、社会的メカニズムをゆっくりと発達させたかもしれませんが、ペノブスコット族の人々は、アルコールには慣れていたものの、ヨーロッパ人が提供した大量のアルコールを摂取したことはありませんでした。
ヨーロッパ人はユーラシアの風土病をアメリカ大陸に持ち込んだが、ペノブスコット族は免疫を獲得していなかった。麻疹、天然痘、その他の感染症の持ち込みによる死亡率は高かった。また、ペノブスコット川のダム建設によりペノブスコット族の主な食料源である遡上魚へのアクセスが遮断された入植者によるさらなる侵略、伐採産業のための森林伐採による大型動物の喪失、入植者による虐殺により、人口は減少した。この壊滅的な人口減少は、キリスト教への改宗(他の要因の中でも)に貢献した可能性がある。人々は、ヨーロッパの司祭がパンデミックに苦しんでいないことを見ることができた。後者は、ペノブスコット族がイエス・キリストを信じなかったために死んだと言った。[ 5 ]
17世紀初頭、ヨーロッパ人がワバナキ族の領土に一年中住み始めた。[ 5 ]当時、ペノブスコット族はおそらく約1万人いた(19世紀初頭までにその数は500人以下に減少した)。[ 7 ] 1675年頃以降、接触がより恒久的になるにつれ、文化の違い、財産観念、資源をめぐる争いによる紛争が起こった。現在のカナダの大西洋岸では、入植者のほとんどがフランス人だったが、ニューイングランドでは一般的に英語を話していた。
18世紀半ばのフレンチ・インディアン戦争(七年戦争の北米戦線)では、イギリス人入植者がペノブスコット族に対し、フランス側につくか、さもなければ敵対すると要求した後、ペノブスコット族はフランス側についた。1755年、マサチューセッツ州知事スペンサー ・フィップスはペノブスコット族に頭皮の懸賞金をかけた。[ 8 ]人口が少なく、異人種間の結婚がより容認されていたため、フランスはペノブスコット族の土地と生活様式にそれほど脅威を与えなかった。[ 5 ]
1759年のケベックの戦いでフランスが敗北した後、ペノブスコット族はヨーロッパの主要な同盟国を失い、弱体化した立場に置かれた。アメリカ独立戦争の間、ペノブスコット族は愛国者側に付き、イギリス領カナダとアメリカ合衆国の国境付近で起こった紛争で重要な役割を果たした。それにもかかわらず、新しいアメリカ政府は彼らの貢献を認めなかったようである。アングロ・アメリカ人の入植者はペノブスコット族の土地に侵入し続けた。[ 5 ]
その後数世紀にわたり、ペノブスコット族は何らかの土地を保持するために条約を結ぼうとしたが、マサチューセッツ州やメイン州で強制力を持たなかったため、アメリカ人が彼らの土地に侵入し続けた。1800年頃からペノブスコット族は居留地に住み、具体的にはインディアン島と呼ばれるメイン州オールドタウン近くのペノブスコット川に浮かぶ島に住んでいた。メイン州政府は部族を監督するために部族代理人を任命した。政府は代理人がペノブスコット族を支援していると信じており、1824年にメイン州の最高裁判所は「彼らの愚かさと我々の人道的命令により、彼らは必然的に我々の父権的支配に服従することになった」と述べた。[ 5 ]この「愚かさ」という感情により、政府はペノブスコット族を州の保護下に置いて彼らの事柄の管理方法を決定するという力関係が生まれた。政府は、土地条約や信託から得られたペノブスコット族の資金を慈善支払いとして扱い、州が管理し、適切と判断した方法で使用しました。
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メープルシロップ:サトウカエデなどの樹液を煮詰めて作られる植物性シロップ
ハチミツ:ミツバチが花の蜜を集めて作る動物性の甘味料
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